当初の予定を早めて慌ただしく始めたこのブログも気がつけば早や一ヶ月、よくわからないながらもそれなりに記事も書けるようになってきました。
「いつかブログをやれるのなら、最初はこんな記事で始めるだろうなぁ~」
自分にとっては当然みどり記事が最初を飾るものと考えていましたが、リアルタイムの出来事は出来るだけ旬のうちに書きたい、というわけでようやく今少し落ち着いてきてこれを書いてます。

伊藤みどり。
私の人生にフィギュアスケートという一生付き合える素晴しいスポーツの魅力を教えてくれた選手。
天才少女と言われながらもその選手生活は波乱万丈。
栄光の陰に隠れた血と汗と涙の苦悩。
約一年半前に動画制作を始めて、2作目にこの動画に取り掛かりました。
まだやっとひとつ作れたに過ぎない、まだまだ知識も腕もない、それでもアイディアが浮かんでしまったら作らずにはいられない!
ちょうどその頃、みどりがPIWに7年ぶりに復帰するというニュースが流れてた時期でもありました。
なにがなんでも見に行きたいけど現実は残念ながら不可能っぽい。
それならばせめて自分なりの形で動画を作りたいなぁ。
なんだか無意味な使命感と情熱で約二ヶ月かけてこの動画を制作しました。
緑の日々 Green Days - Midori Ito Montage -
4分50秒。
この時間内でみどりの現役時代をまとめるのは難しかった。
まず最初にオフコースの「緑の日々」という曲が思い浮かぶ。
「みどり」だから「緑の日々」、単純にそれだけではなく、歌詞がみどりと師匠・マチコ先生の歩んできた道程にとてもオーバーラップしたから。
副題の「Green Days」は「青春の日々・青春時代」という意味らしい。

小さな頃から「天才少女」と騒がれてましたっけ。
渡部絵美さんの引退と入れ替わるように注目されてました。
当然憧れはもちろん絵美さん。
だけど当時の絵美さんよりも小5、小6の小さな少女の方がジャンプの種類も難易度も既に上だった。
ジャンプが得意なおサルさん。ただ好きなジャンプを跳んでるだけで幸せだった女の子。
中学生になり、成長期に入ると急に体付きが大人へと進化し始める。
体重・体調管理、そして骨折。
中学一年生のシーズンは棒に振る。
中学二年生、サラエボ五輪出場権をかけた全日本選手権、なんと得意の2Aで転倒してしまう。
大事なSPでの致命的なミス。
結局一枠しかない代表権を逃してしまう。
中学三年生。初夏。
14才の少女が練習で初めてトリプルアクセルを成功させる。
大きな大きな偉大な第一歩。
しかし、この大技が一方で自身を苦しめる事になろうとはまだみどりは知らなかった。
地元開催となった1985年東京世界選手権、注目はもちろんみどりに集まる。
そんな試合前日の公式練習、よりによってこんな大事な時にみどりの足首が悲鳴を上げる。
右足首亀裂骨折。
松葉杖をつきながら記者会見に臨み、ギプスをつけた状態で自分が滑るはずだった女子の試合を観戦。
15才の少女にとってあまりにも辛過ぎる現実。
一時はスケートへの情熱も失いかけながらも、マチコ先生との二人三脚で再び前を向いて歩き始める。
苦手のコンパルソリーの練習に多くの時間を割き、繋ぎのステップに独創性を持たせ、ダブルを含むコンビネーションを入れるのが規則のSPでより難易度の高いセカンドにトリプルを持ってくるなど、徐々に進化を遂げる。

そして念願の初オリンピック。
みどりがもっともみどりらしく輝いて、みどりの実力と魅力が全世界に知れ渡る事となった1988年カルガリー五輪。
フィギュアスケートが芸術からスポーツへと認識された瞬間。
この大会で一気に知名度を高めたみどりの進化は止まらない。
世界ツアーに参加していたときに男子選手のトリプルアクセルを目の当たりにして、「私だって昔は跳んでいたのに」と情熱と闘志が蘇る。
怪我のために封印してきたトリプルアクセルに再び挑み、ついにみどりの代名詞トリプルアクセルが完璧なジャンプとして復活を遂げた!
1989年、前年のオリンピック上位選手は皆引退、否が応にも注目はトリプルアクセルを跳ぶみどりに集中。
そんなプレッシャーの中、なんとトリプルアクセルを含むトリプル6種類制覇という演技で技術点で6.0が5つも並ぶ高得点を獲得!
文句なしの世界選手権初優勝。
さらに翌年は規定で10位と出遅れたものの、OP(SP)、フリーと充実の演技で1位、総合では2位にとどまったものの、競技者として最も脂が乗る円熟期を迎えていた。
来年からはみどりが苦手としていた規定は廃止、みどり黄金時代はまだ続くものと誰もがそう思った。
と同時にもう下から追いかける気楽な立場ではない、トップに立ってしまった者の宿命が見えないプレッシャーとなって徐々にみどりの肩と心に重くのしかかる。
長年ハードなジャンプを跳び続けてきた肉体は徐々に悲鳴をあげ、怪我にも悩まされた。
それでも未だみどりは世界の頂点に立てるはず、だった。
あの事故がなければ。
満足に滑れる状態ではなかったのに怪我を押して強行出場せざるをえなかったフリー、結果は4位。
「私が表彰台に上がっていたらアルベールビル五輪の日本女子出場枠は3人になっていたのに、自分が表彰台に上がれなかったせいで2枠になってごめんなさい」、とみどりは言った・・・
肉体も心も傷つきながらもさらに次へのステップへと新しい技を取り入れる。
オリンピックで勝つため。自分を磨くため。
しかし日本国中、いや世界からも「絶対的金メダル候補」という期待が彼女に大きな重圧となって重く重くのしかかる。
試合に勝ってもどこかぎこちない。
みどりの顔から笑顔が消えた。
オリンピック直前、みどりはマチコ先生に「オリンピックに出たくない」と話した。
常人にはとても想像もつかない恐怖感にも似たプレッシャー。

アルベールビル五輪開幕。
現地入りしてから徐々に調子を落としていくみどり。
失敗は許されないOP(SP)、ついに3A-2Tの予定を確実に跳べる3Lz-2Tに変更する決断を下す。
“いつものみどり”なら確実だった。
だけどオリンピックという舞台の上に“いつものみどり”はいなかった。
まさかの転倒。
演技終了後のインタビュー、「すみません、転んじゃって・・・」と消え入るような声を搾り出したみどり。
OP終了後の結果は4位、自力で金メダルを取れる位置ではなかった。
2日後、ついに運命のその時は来た。
最初の3Lz-3T、ここで2Lzになってしまう。
ああ、まだOPの失敗を引き摺っているのか・・・
問題の3A・・・「決めてくれ!跳んでくれ!降りてくれ!」
日本中が願ったその時、みどりの体は氷の上で倒れていた。
長く重苦しい時間・・・
だけど世界中の誰よりも諦めてない人間がいた。
そう、それはみどり自身。
天才少女と呼ばれてうれしい事も悲しい事も楽しい事も辛い事も人一倍経験してきた。
何のために今自分は滑っているのか?
誰のためでもない、自分自身のため!
すべてはこの瞬間のため!!
演技開始から既に3分が過ぎていた。
まさかのトリプルアクセルの軌道・・・
高く美しく完璧な回転。
きれいに着氷したその瞬間、みどりの顔は喜びの表情でクシャクシャだった。
人々の記憶に永遠に残る世界一美しくて感動的なトリプルアクセル。
みどりにとってマチコ先生は恩師であり母親であり言葉を超えた関係。きっと二人の間にしか解りえない強い強い絆がある。
動画の最後、アルベールビル五輪のキスクラでマチコ先生がみどりの頬を愛おしそうにスリスリしてる映像、ここに言葉では表現できないすべてが含まれていると思います。

余談ですが、この動画は09年4月下旬に完成、5月頭から始まるPIW公演・復帰のみどりがどんなプログラムで滑るのかはまったく知りませんでした。
ニュース映像のゲネプロ映像のバックに流れている「同じ声」を耳にして心臓が止まりそうになりました。
小田和正さんの「ダイジョウブ」。
彼女の音楽の好みまでは知らなかったので、小田さんの音楽をチョイスした偶然の一致に勝手に運命的なものを感じたりして。
本当に自分だけが勝手に。
7年ものブランク、その間には辛い事苦しい事たくさん経験してきたと思う。
年齢も年齢だけに復帰を決意しただけでも大変な勇気。
そんなみどりが「ダイジョウブ」の歌詞に共感して気持ちを込めて滑っている映像を見て、私がこの動画を作っていた時に込めた気持ちと同じものを感じずにはいられませんでした。

生き生きと演技するみどりの動画を作るよりも何十倍もキツかった。
胸がズキズキして泣きながらこの動画を作ってたっけ。
自分でもなんで2作目にこんな動画作ってるんだろう、何やってるんだろう、って思いながら。
今見ると部分的にここはもっとこう出来たのにというものもあるんですが、やっぱりこれが精一杯。
お時間があれば二度目に見る時は歌詞と照らし合わせながら見ていただけるとうれしいですね。
曲の節目で場面転換しているのもおわかりいただけましたでしょうか。
大好きだったオフコースの曲とみどりの組み合わせで当初の構想以上のものが出来たと自負しています。
私にとってはとてもとても大切な動画となりました。
悲しみ、挫折から一歩踏み出す勇気、乗り越える勇気。
心から尊敬するアスリートです。

2010年8月15日追記
当ブログにも訪問いただいてるみどろ様が、ご自身のブログで「あの日の自分を探して。」という素敵な記事をアップしてくださいました。
私とはまた違うみどりへの熱い思い、情熱、そして思い出もたくさん詰まった素敵過ぎる記事です。
この「みどりの日々」と連動記事と言ってもいいかもしれません。
みどり愛ももちろんなのですが、フィギュアスケートという競技に対する考え方に非常に強く共感いたしました。
当ブログ同様、~Anekoda~アネコダもよろしくです。
ウチはまだまだヒヨッコ、アチラは老舗でございます。
これからもわからない事たくさん教えてね

素晴らしい“みどり愛”ですね。
返信削除��sato4zuka様
返信削除いつもはどこかでひとつボケないと気がすまない性分なのですが、この記事に限ってはいたって真面目に書きました。
“みどり愛”・・・ですかね。
そう感じていただけてうれしいです。
みどり姐さんにも、ぜひこの記事を読んでほしいわ。
返信削除��フィギュアスケートが芸術からスポーツへと認識された瞬間。
おっ!? そうですねぇ~。みどり姐のジャンプは可憐でヒラヒラ衣装のそれまで見たものとは全く違ってましたよね。
いま見返えさせてもらってまたうなずきます。
ここから「スポーツ」なのね。
余談デスガ…小田氏との写真。みどり嬢史上でもかなり上位にくる美写真ですね。
RQさまの愛あふれる記事をよみながら、記憶が色々よみがえりました。
返信削除ワタシにとってもみどりさんは特別です。
地元ですから、小学生時代から知ってました。凄い子いるんだと見始めたら、ほんとにすごくて(笑)。いきなり国内敵なしでしたね~それなのに結構大きな怪我も多くて。そしてその度にマチコ先生もプレッシャー受けてたみたいでしたね。あの頃は先生も無名でしたし、名古屋も片田舎扱いでしたから、不調の度に、「東京に行かせろ」とか意見を言う人は結構いたのだと思います。
だからパリ世選は嬉しかった~!あの6.0が並んだのをみて泣きましたよ~。
もうこれから黄金時代!と思ったら、また怪我。
そしてアルベールビル。正視できないほどの緊張ぶり。本当に波乱万丈。
それこそ止まらないので、この辺で^^。
あ、前にみどりさん、確かオフコースのファンってどこかで答えてた記憶あります。かなり昔の話であいまいですが(笑)
��あんドーナツ様
返信削除去年彼女がやってたブログには
「ご本人が自分の過去の動画を見られるかわかりませんが」と前置きしてこの動画のURLとともにコメントを書きましたが、ブログにコメントした人には返事しない形式でやっていたので(いちいちファンに返事してたら大変)本当にご本人に見てもらえたかはわかりません。
書くのに勇気もいったけど、これを作った気持ちだけは伝えたかったので。
小田さんとの写真はブログが別会社に移転してすぐに記事になってたやつです。
奇跡のツーショットですね。
小田さんもそれほど大きい方ではないのですが遠近法がおかしく見えるのは何故?
窓の外の景色が緑なのもいいです。本当に綺麗に写ってますね^^
��ありしあ様
返信削除あー、地元・・・だから以前中日ファンだとおっしゃってたのね。
実は私もそうですよ。
といっても最近ほとんど野球見てませんが・・・
中学高校時代は好きなのはマッチとか聖子ちゃん!なんて答えてて、実際カルガリー五輪のエキシビションでは松田聖子の時間旅行という曲のインストゥルメンタルで滑ってました。
地元だと本当に東海地区限定の情報沢山流していたんでしょうねぇ。
思い出したら時々教えてください。
どんな小さな事でも大歓迎です^^小さな事からコツコツと。ヘレ~ン!
��・・・真面目にやるつもりだったのにまたやっちゃった)
この動画にも入れましたが、マチコ先生がみどりの衣装を縫っている場面、これをどうしても入れたかったんです。
みどりを住まわせて食事も作ってコーチもして曲も編集して衣装も縫う・・・母親とかコーチ以上の関係ですね。
もう伊藤みどりについては、いつも言葉にできなくて先送りにしていました。
返信削除わたしにとっても、それくらい特別な選手です。
この記事を読んで改めて、みんながみどりちゃんのどこに・何に惹かれてきたのか、感じているものは一緒なんだと思いました。
��年ぶりに復帰した時のプリンスアイスワールド、2回見に行きまして、いいエピソードがあったのでよろしければご覧ください。
宣伝みたいですみません。
http://anekoda.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/2009-9c99.html
今になって、彼女の偉大さを思い知らされている感じです。知らなかったエピソードもあったりして、どんな思いでリンクに立ってたのかなと思うと・・・
返信削除去年思い切ってPIW行ってホントによかった。2A飛ぶ時のあの軌跡に全身鳥肌が立ったのを今でも忘れません。
辛い時、よく彼女の演技を見ます。そうすると、自分の抱えていることがいかにちっぽけかと思えてまた立ち上がれます。そのくらい、伊藤みどりの演技には訴えるものがありますね。
��Q様、素晴らしい記事をありがとう。
��みどろ様
返信削除どうぞいつでも宣伝してください!ここでよければいつでも宣伝の場を提供しますです^^
右のリンク集にも当然入ってますしね。
その場で同じ空気を共有した人でないと書けない素敵な記事ですね。
去年のPIW復活については近い内に記事にする予定ですので、また詳しいお話お聞かせください。
う、うらやましい・・・
みどりが活躍していたあの頃、フィギュアスケートに興味があろうがなかろうが「フィギュアといえば伊藤みどり」でした。間違いなく。
見てきた人それぞれにそれぞれの思い出思い入れがある、そして私が作った動画と記事はそんな人々の中の一人の感想に過ぎません。
だけどこの記事を読んでくださった方々が当時に思いを馳せる事があれば・・・思い出掘り起こしのお手伝いが少しはできたかな?
もちろん現役時代を知らないという人にもこういう選手がいたんだよって事を知ってもらえればうれしいです。
やっぱり特別な選手ですね。唯一無二。
��みやすけ様
返信削除残念ながらもう生で滑るみどりは見られないかもしれませんね。
生で体感したという貴重なその感動と体験、また詳しくお聞かせくださいね。
私を含め、彼女の演技にのめり込んだ人ほど彼女の辛そうな表情・演技はあまり見たくないという人が結構いると思うんです。
銀メダルをとったアルベールビル五輪もやっと落ち着いて見られるようになったのは実はほんの数年前。
この動画を作る時にみどりの演技を小さい時のものから時系列で見直しながら編集してたのですが、選手としての成長具合が感じられて別の意味で更に惚れ直したっていうか。
現役最後のシーズンの鬼構成・目を見張る所作・・・今だと22才での引退は早すぎると感じますが、あれ以上はモチベーションを保てなかったのでしょう。
辛い表情も多い動画ですが、最後はもちろん笑顔で終わらせました。
心からのみどりスマイル、輝いてますね。
あ!今日はみどりの誕生日だったよ。
伊藤みどりという天賦の才能がこの世に産み落とされた記念日。
おめでとう、ありがとう。
こんばんは^^
返信削除RQさん、いつもお世話になっています。
愛にあふれた記事を読ませて頂きました。
みどりさんのあの美しい演技と
輝く笑顔の裏には…
たくさんのご苦労があり
そして、マチコ先生とともに様々な試練を乗り越えられてきたことを
あらためて知り、胸が詰まる思いです。
RQさんの想い…
大切なみどりさんに届いていますね…^^♪
いいな~^^
こちらにお邪魔して、
温かい気持ちになりました。
ありがとうございます。
これからもどうかよろしくお願い致します^^
pink
��pink様
返信削除当ブログにようこそおいでくださいました!
こちらこそいつもお世話になってます。
ちょっとここでpink様について私の方から補足させていただきますね。
この記事の最後の方、“小田和正さんの「ダイジョウブ」”の部分でリンクさせていただいた動画の作者様でございます。
pink様と知り合えたのは実はこの動画が元なのです。
そこからは主に動画制作についてのやりとりをさせていただいておりますが、ご自分で撮影されたお写真とオフコース(小田さん)の歌詞を御自分の世界観で素晴らしい動画に作り上げていて、ジャンルも扱う素材も私とは別とはいえ、ワタクシの動画のお師匠様なのであります。
特にここ最近のモノはプロ級なんです!マジで!!
プロ級な上に動画から心が伝わる、ここにワタクシ惚れたのであります。
だからこの記事の中で紹介するのはpink様のあの「ダイジョウブ動画」でないと意味がない、そう思って動画をリンクさせていただきました。
動画を載せられなかったのはスペースの関係もあるのですが、もうひとつのモンタージュを記事にした時にと考えていたから。
お花が空に向かって見上げるように咲き誇ってる写真、いいですよねぇ。
お花の意思が根性が伝わります。
私もオフコースファンでしたから、この曲(緑の日々)でここまでの動画に仕上げられたのは歌の力もあると思っています。
「ダイジョウブ」で動画を作ることも考えた事もあったのですが・・・これはきっともうないですね。
みどり本人があの曲で滑った、ボーカル入りの曲は歌詞に合わせられる反面逆にイメージが固定されてしまいがち、そしてなによりこの曲は歌い終わってから演奏が1分10秒もある!(実はココが動画制作でネックだったりするw)
というわけでこれからもお世話になります、お師匠様!!