東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から一ヶ月余り、未だ続く余震、原発事故の影響、風評被害、二次災害、復興への長い長い道程・・・
2011年3月11日、この小さな島国を襲った悪夢のような災害。
そんな被災地の中にひとりの有名なフィギュアスケーターがいた。
羽生結弦。
● フィギュア・羽生 被災地へ届け、16歳の「勇気の舞」 :日本経済新聞
2011/4/16 7:00 (2011/4/18 18:32更新)
「氷の上にいた。立っているのが精いっぱい。少しずつ揺れがおさまってから、外に出たけれど、スケート靴のまま、ブレード(刃)カバーを付けるのも忘れていた」
東日本大震災があった3月11日、昨季のフィギュアスケート世界ジュニア王者で今季の四大陸選手権で2位となった羽生結弦(16、東北高)は仙台市内のアイスリンク仙台で練習中だった。
■4日間、避難所で過ごす
ゴムや柔らかい布以外の地面を踏むと、ブレードは一度で使えなくなる。カバーを付けることは染みついた習慣なのに、すっかり抜けていた。
羽生を含め、阿部奈々美コーチ、その生徒たちは無事だった。しかし、しばらくしてリンクに戻ると、氷が解けて水浸し。配管が壊れたと聞かされたが、詳細は分からず、立ち入り禁止になってしまった。リンク近くにある羽生の自宅も電気、ガス、水道が通じなくなり、家族で4日間、避難所で過ごした。
「水や食料を供給してもらって、たくさんの人に支えられていると実感した」。電気が通じたので戻ったが、ガスは4月まで使えなかったという。
■各地のリンクが被災
少し落ち着くと、スケートをできる人はやろう、という雰囲気にはなったが、氷がない。アイスリンク仙台は宮城県だけでなく、秋田、岩手、山形県のスケーターにとっても唯一の通年リンク。遠くに行くにも、交通手段がなく、リンク被害は関東にも及んでいた。
茨城県の笠松も損壊して再開は未定。東京の明治神宮外苑アイススケート場も天井や壁の一部が破損。「破損しなかった部分の点検、修理もする。6月をメドに再開したい」(神宮外苑総務部)。千葉市のアクアリンクちばも、9日にやっと再オープンにこぎ着けたところだ。
結局、震災から10日後、羽生は母親と高速バスで横浜に向かった。リンクから脱出したときにダメにしたスケート靴をまず新調、そのまま、横浜で練習を再開した。4月1日、節電で営業を休止していた青森県八戸市のリンクが再開すると、今度は阿部コーチの生徒30人らと共に、八戸に移動して合宿。それを終えると、再び横浜に戻った。
■選抜に出場したクラスメートの姿を見て
リンクを転々とする生活。羽生は朝と夜に練習時間をもらっても、気持ちが乗らず、朝は行けない日も少なくなかった。練習以外の時間はホテルの部屋にこもりがちだったという。
そうした羽生を勇気づけたのが、選抜高校野球に出場した東北高のナインだった。3月28日、大垣日大を相手に0-7で敗れたが、テレビでクラスメートの姿を久しぶりに見て、元気が出てきたという。
ただ、まだ気持ちのアップダウンは激しく、余震で仙台が再び停電したと聞くと、ふさぎ込んでしまうこともあった。
■チャリティーショーのリンクに立つ
羽生に再び笑顔をもたらしたのは、観衆の歓声だった。4月9日、神戸で企画されたチャリティーショーのリンクに、バンクーバー五輪銅メダルの高橋大輔(関大大学院)、トリノ五輪金メダリストの荒川静香さんらとともに立った。
フィギュアといえば名古屋、というイメージだが、1998年長野五輪のころは、仙台も一大拠点だった。当時、仙台にいた選手たちが今、関大に集まっている。指導者の元五輪選手の本田武史(福島出身)、田村岳斗(青森出身)は東北高OBで、高橋大輔と長光歌子コーチが出会ったのも仙台だ。
チャリティーショーは震災直後から、こうした関大メンバーらが中心になって話し合い、実現にこぎつけた。入場者は立ち見も含めて約2700人。募金やチャリティーオークションなどで1300万円を超える額が集まった。
チャリティーショーが開かれた神戸は1995年、阪神大震災に見舞われている。その街を今、目にしたとき、震災で大きな被害を受けたとは思えなかった。「自分の生まれた街が崩壊するのは悔しかったけれど、力を合わせれば復興のメドが立つんだ、と思った」と羽生は言う。
■ショーで「白鳥の湖」などを披露
ショーでは滑り慣れた「白鳥の湖」と、アンコールで「パガニーニの主題による狂詩曲」を披露した。スタンディングオベーションが起きた精いっぱいの演技に、見守った阿部コーチは「心がこもっていて、泣けてきた」と話す。
14日、羽生は仙台に戻り、東北高で始業式に出席した。18日からは再び、八戸へ行き、5月以降、横浜、八戸、横浜、金沢、東京……、ショーに呼ばれた先々で、リンクを融通してもらって練習していくつもりだ。「自分にできることはスケートだけ。スケートを通して一生懸命な姿を見せて、少しでも多くの人に勇気を与えられればいいな」と言う。
日本スケート連盟の強化選手である羽生は、ナショナルトレセン(中京大アイスアリーナ)が使え、かつて仙台にいた長久保裕コーチがいる名古屋のリンクも便宜を図ってくれる。海外からも練習に来ないかという声もかかっている。しかし、今のところ、拠点を仙台から移すつもりはない。
「今はとにかく滑りたい。この思いをスケートにぶつけたい」。たまった思いをはき出してから、先のことは考えるそうだ。
(原真子)
震災後に東京ワールドの情報を追った記事の中では羽生君は取り上げなかった。
「避難所にいたらしい」という情報は目にしたけど、あの時期、こういう状況下で確実なソースがないものは出したくなかった。
上の記事には詳細に当時の状況・先週行われた神戸のチャリティーショーの模様、今後どのように練習していくかを模索している様子が書かれてあります。
16歳にして強い意志と決意を感じさせる言葉・演技。
しかし裏ではアップダウンが激しいというのも現実。
当事者ではない我々ファンには「頑張って」ぐらいしか言えない。
簡単には「頑張れない」厳しい環境下であるのは間違いない。
どれだけ才能があろうと環境が整ってなければ競技を続けるのは困難。
彼が背負ってしまった過酷な現実・今後の選手生活・人生。
応援する事で彼の演技とメンタルの力になるのであれば、我々はいつでも彼に惜しみない声援と拍手を送ろう。
それしかできないけど、それが彼にとってなによりのパワーになるのであれば。
この体験が今後の彼に思いっきりプラスに働いてほしい。
より強く羽ばたく白鳥に育ってほしい。
ファイト、ゆづ!負けるな!!!
仙台の避難所を訪問した荒川さん
荒川さんの言葉には説得力と重みがある。
@mariakko2010 そうだよね!どうなってるかわからないから『今』の自分と向き合うわけで。『今』の積み重ねが未来へだからね。1秒前はもう過去。1秒先は未来。
— Shizuka Arakawaさん (@tiramisu11) 2011年2月23日
笑顔を自粛しちゃいけないんだ。一緒に下を向くんじゃない。一緒に上を向く方法を考えるんだ。
— Shizuka Arakawaさん (@tiramisu11) 2011年4月6日
人生ほんとに日々勉強ですな〜。答えは結果論なんだろうけど。時には下を向いたからこそ気づけることだってあるょ。上も下も前も横も見るもの全てに価値はある。きっと。一歩を踏み出してこそ見える世界があるなら見てみたい。自分次第。
— Shizuka Arakawaさん (@tiramisu11) 2011年4月6日
大好きです。尊敬してます。
私たちもいつも勇気とパワーを分けてもらっています。
だからこそ私たちにも出来る事はなんなのかを考え、皆が自分に出来る事から少しずつ行動していければ。
ひとりじゃない。

2012年01月25日 追記
久しぶりにこの記事を見て動画が全滅になっている事実に落胆しました。
上の方5つは神戸で行われたチャリティーショーのニュース動画でした。
一番下は荒川さんが地元・仙台の避難所を訪問した時のニュース動画。
明らかに悪質な著作権侵害動画とは質が違うことを汲み取れないものか。
特に一番下の動画はずっと残していただきたかった。
もっと沢山の方に見て知ってもらいたかった。
「残念」というより悲しい。虚しい。
※ チャリティーニュース動画をひとつ見つけたので差し替えました。
もうすでに精一杯頑張っている人に「がんばって」と声をかけるのはつらいけど、でも、応援している気持ちを伝えるいい言葉を見つけるのも難しいですね。
返信削除ジェーン・バーキンは、「気をつけて」がなかなか覚えられずに苦労していたようでした。かのじょが言いたかったことって、「お大事に」なんじゃないかなあと、通訳翻訳の難しさも感じました。
言葉って本当に重いです。
でも、気持ちがこもっていれば、必ず伝わると信じて話し続けなければ。忘れずに支援し続けるためにも・・・
��ぷぷ様
返信削除日本語は美しくもあり曖昧でもあり。
震災後に漫画家の鳥山明さんが被災者に向けて励ましのイラストを描いていたんです。
ドラゴンボールの悟空とアラレちゃん。
添えられた言葉が「がんばれー!」
http://journal.mycom.co.jp/news/2011/03/15/033/index.html
「うわー、凄い」「これは喜んでもらえるよ」といった声の中、
「がんばれは禁句」って書いてる人がいて。
その人自身も被災された経験を持つのかもしれない、または別の悩みや苦しみを抱えていてそういう気持ちを味わってきた人なのかもしれない。
でも、気持ちを込めて「がんばれ」と言ってくれた人をやみくもに批判してしまうのはやはり何か違う。
「頑張れ」って美しい言葉だと思います。
羽生君、これからが大変です。
この過酷な試練を一歩ずつ乗り越えて、ひとまわりもふたまわりも強く逞しくなってもらいたいです。