2014-05-11

みんな大好き信夫先生





3月の世界選手権が終わってからこれまでずっとブログの大幅なカスタマイズと表示崩れの修正をしていました。
その間の4月20日に放送された佐藤信夫先生の特集番組について遅ればせながらここで記事にします。


佐藤信夫の「基礎」




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ワンダフルライフ - 14.04.20 - 日韩综艺 - MioMio

いやはや、まさか期待してなかったこの局の新番組でこんなに信夫先生現役時代の動画やら幼少期青年期の写真が拝めるとは!!!
特に1964年インスブルック五輪の映像入手は殊勲賞あげます殊勲賞。


信夫先生は逆回転だったんですね。2Lzからターンもなしに2Aって!
で、ジャンプとスピンでは回転方向が違うという。
審判が氷上のフェンス際に座っているっていうのはそこにすっ転んだ選手が突撃してきた場合よけられるんだろうか?選手も「あの一角では思い切ってジャンプできない」って考えてると滑りに影響するんじゃないか?とか思いました。
演技後に審判がリンク中央で立って点数の札を掲げているのはまだ電光掲示板もなくて観客にも見えるようにああしてるんでしょうね。

「男子選手が演技しながら笑っちゃいけない」っていう話には信夫先生がどれだけ長くこの世界に携わってきてこれまでどれだけの選手やフィギュアスケートの変遷を見てこられたのか、その歴史の深さをひしと感じました。
生き字引であり歴史の証人。
(後にジョン・カリーやトーラー・クランストンが男子選手の芸術性・表現法を劇的に変えるのですが)

「詩人と農夫」は8年も使用したのだとか!「ペト様のフリー、またこれなの!?」なんてレベルでイラついてる場合じゃないわ。

Franz von Suppe - Poet and Peasant Overture(スッペ/詩人と農夫)


フィギュアスケート大改革


良い特集番組ではあったけれど、これだけはいただけなかったのが9:00からの
『25年前までコンパルソリーとフリーの合計点で競われていた、現在のSPは存在しなかったのだ』っていう部分。

 んなことぁない。(タモリさん談)
 んなわけねぇだろバカヤロー!(泉谷しげるさん談)
 バッカモーン!!ヽ(#`Д´)ノ (磯野波平さん談)

天下の信夫先生を目の前にとんでもない間違いを断定口調でよくもまぁ堂々とぬかしやがって!
そこがなければもっといい特集であったのですが。


ジャネット・リン革命


せっかくなのでこの件についてここで書いていきましょう。

1972年札幌五輪。
有名なジャネット・リンの尻もちをついたオレンジ衣装のあの演技、リンはコンパルソリーで4位と出遅れてフリーで1位になるも、合計でシューバ(規定1位・フリー7位)に届かず銅メダル。

この当時のコンパルソリーの得点比重はなんと5割!でも観客には見てもいないコンパルソリーのことなどわかりません。今でも札幌五輪の花であり伝説として語り継がれるのは金メダリストではなく銅メダリスト。
このジャネット・リンの演技が後にショートプログラム導入と規定の得点比重を下げるきっかけ(のうちのひとつ)になりました。
ていうのは少し前に動画宮殿Fで書かせてもらった記事内で触れてますので興味がある方はこちらの記事をどうぞ。


コンパルソリー廃止へ



図形を氷上に描くという競技から発展したフィギュアスケートにコンパルソリーは不可欠でしたが、時代の移り変わりとともに「観客にはわかりづらい」「テレビ向きでないしつまらない」等の理由から1989-1990シーズンを最後に廃止されました。

この動画は1990年スケートアメリカ、規定がなくなってから最初の国際試合ということでこのような特集が組まれています。


動画の中で出てくるコンパルソリーの映像は最後の規定となった1990年世界選手権(女子シングル)のときのものです。

当時の点数配分はこうでした。

    

フリーの比重がグッと上がりました。大きな改革ですよね。
規定が苦手な選手の代表格として伊藤みどりとクリスティ・ヤマグチが取り上げられています。
『このルール変更はみどりにとってより有利になる』、規定廃止前からそう言われてきました。

そして規定廃止最初の試合。

クリスティにとってはこれまでのルディ・ガリンドとのペアの試合と掛け持ちというハードな競技生活に区切りを付け、シングル一本に絞ってから初の試合。
シーズン最初の試合とはいえみどりは凡ミスを重ねて、ノーミスで完璧に滑りきったクリスティに初めて負けてしまいました。

『規定廃止で伊藤みどりの時代はさらに続くだろう』と思われたけれど、世界選手権で優勝したのは規定がまだ存在した1989年のみ。
廃止後初の1991年世界選手権はあの衝突事故の時でした。
(1992年はアルベールビル五輪を持って引退となったので出場してません。)


『規定がなければ間違いなくみどりが優勝』と誰もが思った試合はやはり1990年の世界選手権でしょう。
規定10位・OP・フリー共に1位。シェヘラザードで滑ったあの頃が伊藤みどりの絶頂期。
決してみどりのために改革されたルールではないけれど、やはり『もう少し早ければ』とは思いました。

ただ、規定10位と出遅れて絶対に失敗が許されないという不安と緊張感の中、見事な演技でオリジナルプログラム1位となったあの時の興奮はコンパルソリーがあったからこそのものだったし、演技終了直後に満知子先生と城田女史が見せた涙もまたどれだけ追い詰められた状況であったかを感じさせられたものでした。
規定があってこそのドラマ。規定で出遅れてショート・フリーで猛烈な追い上げを見せるみどりは幼少の頃から「ツナミガール」と呼ばれていましたっけ。

みどりだって規定が苦手だったって言っても当然「ヘタ」だったわけじゃないですよ。コンパルソリーのみの順位では他選手よりは若干下がるというだけで。
あの時代の選手は誰もが規定の練習に多くの時間を割いていたし、必須科目である以上はそれが当然だったのだから。

コンパルソリー存続最後の試合で優勝したジル・トレナリーにとってはルールが味方して、廃止となった翌年はシングル一本に絞って選手としても一番脂が乗っていたクリスティにルールと実力と運(タイミング)が味方した。
時代の転換期には良くも悪くもドラマが生まれます。


信夫先生の揺るぎない信念



行き着くところは「基礎」あってこその滑り



あれから四半世紀、来シーズンのルール変更でエッジエラーはこれまで以上により厳しくチェック・減点されます。
今はルッツやフリップのエラー持ちの選手が結構多いですね。
幼少期に鬼のようにコンパルソリーを叩き込まれたパトリック・チャンのスケーティング技術が群を抜いているのを見ても、まっちーが練習にコンパルソリーを取り入れて大きく飛躍できたというケースを見ても、基礎をおろそかにしてはスケーティングの基本的で正確な動きは身に付かないのだと思わされます。

すでに現役時代に規定など存在しなかった選手が指導者になってきています。
幼少期から基礎を徹底的に体に染み込ませることが大切、基本に立ち返って選手を育成していただきたいなと願います。



信夫先生のコーチ・山下艶子先生は佐藤信夫、大川久美子(後の佐藤夫人)、娘の山下一美(グルノーブル・札幌五輪代表)といった選手を育て上げました。
『稲田悦子らとともに日本フィギュアスケートインストラクター協会を設立』、って伝説の稲田先生ですよっ!

みんなみーーんな道は繋がってる。
フィギュアスケートの試合がSPから当たり前のように放送されている現在では考えられないような時代、写真をパラパラ漫画にしてめくって海外選手の動きを真似て取り入れる。今では笑われるような原始的なことであっても、情報もほとんどなくメディアも発達していない時代において技術向上のためならやれることはなんだってやるんだという努力と向上心と執念の賜物。
諸先輩方の苦しく地道な努力が何層にも積み重なって今の隆盛があるのだということを決して忘れてはならないし忘れないようにしたい。

トップスケーターが必ずしも名コーチになれるとは限らない。
試合で滑るのは選手だけどコーチの指導力が重要なのは言うまでもない。選手も我は強い。
「もっと強くなりたいうまくなりたい」と教えを乞い指導を聞き入れ受け入れて吸収し努力することで選手は成長する。変われる。
そして私たちは信夫先生の手腕によって育ち生まれ変わった選手の姿を何度も見てきた。見せてもらった。

選手の成績が伸びなければコーチのせいにもされる。我慢と根気と忍耐の日々。
コーチ51%と選手49%の配分の中でその1%の責任と覚悟はどれだけの重さだったろうか。
フィギュアスケートとは主役の選手だけのものではなのだということを信夫先生からたくさんたくさん教えられた。


みんな大好き信夫先生


バンクーバー五輪以降、真央ちゃんになかなかコーチが決まらずやきもきしていた頃にやっともたらされた新コーチ決定の朗報に急遽この記事を書きました。


3年8ヶ月前のこの記事の締めくくりに書いた

みんな大好き信夫先生。
真央なら翔べる!信夫ならやってくれる!

という言葉。その通りになったでしょう?なったよね?
・・・っていうのは今だから言えるのであって、この4年弱の間にあった様々な苦難葛藤はそう簡単に言葉で表せないものであったことは想像に難くない。

 

“みんな”“信夫先生を大好き” なのは「真央ちゃんのコーチだから」「こづのコーチだから」、
それでもいいの。自然とそうなるしそうなるのが普通。

好きな選手がコーチの手腕によってどう変わるのか、変われるのか。
佐藤信夫というコーチがなぜ選手の眠っている才能と可能性を引き出して輝かせることができるのか。

浅田真央のコーチとしてではなく佐藤信夫個人にスポットをあててこのような特集が組まれて、先生自身ですら目にしたことがなかったという貴重な現役時代の映像まで発掘したというのは画期的な番組であったな、とそう思います。


・・・ってはじめてお台場さんを褒めてみた。
やれば出来る子フジテレビ。
本気出せばここまでできるじゃないの。


 

だから先生のその演技動画、そのままの素材でフルでちょうだいよ。
稔・松村さん・五十嵐さんがオリンピック出た時の映像もちょうだいよ。

信夫先生も稔の日本男子初ワールドメダルに関わったのにスルーされていたとか、娘の有香を世界チャンピオンにまで育てたことになぜもっと触れない!?とか、ゆかりんが番組に関わっていたというのに彼女の現役時代の話や動画が出てこなかったりだとか細かい部分ではいろいろあるにはありますけどね。
松村さんの現役時代の映像やインタビューもあったし、NHKのドキュメンタリー番組のような作りでほぼ合格点な番組ではありました。

再現フィルムが安っぽくて中途半端で「その役者のどこが信夫先生やねんっ!」なんてそんな贅沢は言いませんとも、ええ、言いませんよっ <3


君なら翔べる!という信念




この本は荒川さんがトリノ五輪で金メダルを獲る少し前、2005年12月に発行されたものです。
(信夫先生・久美子先生へのインタビュー(会話)を拾って文字起こしされています)
図書館で借りてきては延滞、一旦返却してはまた借りて、と同じことやってたんで結局購入しました。
今度久しぶりに読んでみようっと。フィギュアスケートの歴史が詰め込まれたスケオタ必読書です。

一家に一冊、『君なら翔べる!』


My Favorite 信夫


該当の動画が見つからなかったので、これを。


動画1:46から。

これは2005年秋のNHK杯で中野友加里選手が初優勝した時のフリー(ドン・キホーテ)演技に向かう直前の映像です。
試合前に襲う緊張感、選手がより良いベストの演技ができるようにとコーチは魔法の言葉をかける。選手とコーチとの間にある信頼感・絆が伝わるとても印象的で良い場面だと思ったので拘って動画に取り入れました。

ほとんどが信夫先生に師事してからの動画なので、必然的に信夫先生が随所に出てきます。
良い時も、良くない時も。辛く厳しい練習の時も。
最後のゆかりんのインタビューは今見てもキツいですね。(4年後にこづが同じ立場になるとは・・・)



時は流れて、挫折も苦悩も乗り越えて自分の糧としてみんなそれぞれが輝ける道を目指して歩いている。
信夫先生から学び吸収し得たものを胸にして。

フィギュアスケートファンにとっても信夫先生は「先生」なんです。
信夫先生ありがとう。大好き信夫先生。


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