2014-07-02

icenetworkのIt's Your Move Contestを整理してみた その4 【トリプルアクセル】





トリプルアクセル


ブライアン・オーサー(カナダ) トリプルアクセル


Brian Orser's triple Axel



You know you've mastered something when you earn the nickname "Mr. (that thing)." Brian Orser championed the triple Axel in its early days, becoming just the second man to land the jump in competition (the first was his countryman, Vern Taylor) and the first to land two in the same program.



この時代の男子はトリプルアクセルが最高難度の大技でした。助走の構えから踏み切って回転するまでのフォーム・タイミングに無駄な力みがない、失敗する気がしない安定したジャンプ。この時優勝した1987年ワールドでは演技終盤にも3A跳んでる!(4:21) 流石のミスタートリプルアクセル。
いやぁ、それにしても選曲のセンスと編集が酷いのなんのってwww この時代はイントロダクション~スローパート~クライマックス、と流れ無視でいくつか曲を並べただけ的なブツ切り編集がザラです。時代によって流行りとか傾向とかあるしね、スローパートで唐突にアランフェスって!( ( ゚д゚)ハッ! 稔もスローパートにアランフェス使ってた!

Brian Orser (CAN) - 1984 Sarajevo, Men's Long Program

オーサーはオリンピック(1984年サラエボ)で初めてトリプルアクセルを成功させた選手です。(1:24~
4:38の空中姿勢がダイナミックなオープンアクセル、4:57からの回転方向を変えての連続ウォーレイからの3Tとか面白い繋ぎがたくさん。
1:50からの一連の動作の中にある手を上げたシングルサルコウは今のルールだと繋ぎではなくジャンプとしてカウントされてしまうんだよねぇつまんないよねぇこういうのもっと見たいよねぇ。技術は進化していっても先人から学ぶものはたくさんあるよね。

Brian Orser (CAN) - 1988 Calgary, Men's Short Program
こちらはさらに4年後、地元カナダ開催・ブライアン対決が注目されたカルガリー五輪。今の半分位の幅。この頃はこんなにスレンダーだったのにいつの間に雄三化しちゃったんでしょう。
このシーズンのSPのコンビネーションのひとつは2Loを入れるという規則だったんですね。男子のトップ選手では3A-2Loという素晴らしいコンボがいくつも見られました。
このオーサーをして「彼女が男でなくてよかった」と言わしめた伊藤みどりはこのあとすぐ!



伊藤みどり(日本) トリプルアクセル


Midori Ito's triple Axel



Midori Ito was a world champion and an Olympic silver medalist, but say her name, and the first thing that comes to everyone's mind is "triple Axel." She was the first woman to land the jump in competition, at the 1988 NHK Trophy, and landed 18 in all over the course of her career.



動画のタイトルだけではわかりづらいので補足をしておきますと、1989年、女子選手が世界選手権で初めてトリプルアクセルを含むトリプル6種類を成功させた演技です。
(この演技についてはみどり使用音楽巡礼の旅 #2 世界選手権優勝のあの曲記事をご覧下さい)
Midori Ito Triple Axel & Combination Jump 

これはみどりの3Aおよびコンビネーションを時系列に並べた動画なのですが、0:33以前と以降では4年の開きがあります。中学三年生のNHK杯でトライするも試合では成功させられず、その後骨折をしてしまったのでしばらくの間この大技を封印していました。
再び3Aにチャレンジしたきっかけはカルガリー五輪後のワールドツアー。オーサー、ボイタノら男子トップスケーターのダイナミックな3Aを間近で見て「私も前はこのジャンプを跳んでいたのになぁ、また跳びたいなぁ」って思って、当時女子では誰もやっていない未知の技を男子選手を参考にして再び取り組むこととなったのです。
未知の領域に挑んで道を開拓したパイオニアが開いた扉は重厚で重みがあります。


まったく違う角度からのアングルで撮されたみどりと真央の3Aを並べて比較した動画があるのですが、ある意図を持って誘導するように作られた動画は私は好きではないのでここでは取り上げません。
私の出している動画にも時々“そのようなコメント”がつくことがありますが、時代も違う・跳び方もスタイルも違う選手を比較するために動画を出しているわけではないので、どちらかを貶めるような材料にされるのは極めて遺憾です。


こちらはテレビ局が制作した映像なのでここで紹介します。
91年、アルベールビル五輪の前哨戦と言われたラリック杯のアメリカ放送。試合には出ていないトーニャ・ハーディングへのインタビュー。

Interview with Tonya Harding and Ladies' Award Ceremony - 1991 Trophee Lalique ,Ladies' Free Skate

実は女子のトリプルアクセルからのコンビネーションを試合で成功させたのはハーディングの方が一足早いのです。比較動画はその時のハーディングの91年スケートアメリカSPと今大会のみどりの91年ラリック杯フリーの映像。3A-2Tを並べた映像です。
ハーディングは助走で踏み切る前に左足を振り子のように動かしてタイミングを取り、空中で思いっきり軸が斜めになっても力技で跳ぶ!強引に跳ぶ!そしてなぜか着氷できてしまうという驚異のド迫力3A!!不思議だ、なぜこれで着地できてしまうんだろう。

みどりが女子選手初の3Aを試合で成功させてから2シーズン後・アルベールビル五輪を控えた頃にハーディングが3Aをマスターしたのは驚異でもあり、「これから女子でも当たり前のように3Aを入れる時代になる」と思わされたものでした。
クリスティ・ヤマグチも3Aにトライしていたのですが、こちらは確実にモノにできなかったというのと、無理にリスクを冒さなくても総合力で勝てると判断したのは賢明でした。
ハーディングが3Aを跳んでいた(成功させていた)のは実質一年あまり。長きにわたって成功させるということがどれほど困難な技なのか、だからこそ伊藤みどりのトリプルアクセルは元祖でありレジェンドなんです。

そんなみどりも選手としての先が見え始めた時期のアメリカ勢の猛追は改めて自身を奮い立たせる材料になったはず。ライバルというのは競い合うと同時に自己を高める存在でもあるのです。
そんな存在に巡り会えるタイミングも運も人それぞれだけど、国内ではずっと敵なしであったみどりにとって彼女たちの存在はアスリートとしては幸せなことだったのではないかなぁってそう思います。
後にハーディングがあのような事件を起こしてしまって過去の偉業がスキャンダルにすっかり埋もれてしまったのは残念ではありましたが。


話はまた元に戻りますが、ハーディングがみどりのすぐ後に成功させたことで「この技はすぐに女子では取り入れるのが当たり前の技になるんだろうなぁ」と思ったものの、あれから四半世紀が経って尚女子で3Aを試合で成功させた選手は数える程しかいない。
3A-3T。一度でいいから試合で見てみたかったなぁ。やっぱり伊藤みどりは宇宙人。規格外。



浅田真央(日本) トリプルアクセル


Mao Asada's triple Axel



Unofficially, Asada been credited with landing her signature jump in competition 33 times, 15 more than the skater who pioneered it for women, Midori Ito. Though she has faced criticism for relying too heavily on this difficult element, there's no question she has become synonymous with the triple Axel.



記憶に新しい今年3月・女子SPのワールドレコードを記録した世界選手権での演技。
ソチ五輪SPでの大失敗の悪夢・記憶・イメージを見事払拭、バンクーバー五輪以降に一から見直して基礎に取り組んだ改造の成果が集大成の試合で見事に輝いた瞬間でもありました。

体重が軽くて華奢な体型のミドルティーンの頃は力みがなく難なく跳んでいたトリプルアクセルでしたが、成長期とともに徐々に踏込み時に前傾姿勢で深く沈み込むフォームになっていき、得意であったはずの3Aが自身を縛り付けているように見えました。成長期を経てここまで継続してこの大技を維持することの難しさ。大技をマスターできた者だけが知り得る喜びと苦しみと逃れることのできないしがらみ。

現時点では正式に進退を明らかにはしていませんが、ずっと練習練習でやってきた彼女が一年試合から遠ざかるのは二年三年の休みに等しいのではないかと思えます。
生き甲斐・やり甲斐・張り合いでもあったトリプルアクセルもいつかは跳べなくなる日がやってくる。
3Aを構成から外した2011年のNHK杯フリー「愛の夢」がふと思い出されます。苦しみもがいた中で光が差し込んだ演技でした。あの頃と状況は違うし競う相手の顔ぶれも変わってきているけれど、もし戻ってくるのであれば3Aへのこだわりを捨てる覚悟と勇気が必要とされるかもしれません。

ずっと走り続けてきた場所からここで一旦離れてみることで見えてくるもの吸収するものがたくさんあるでしょう。彼女にとってベストの答えが出せるよう願っています。


おまけ
トップ画像はどうしてもミスタートリプルアクセルと女子のパイオニアを並べたくてあの画像にしたのですが、こちらのみどり&真央もどうしても捨てがたく
・・・あれ、なんか違いますか?
そう、これはこの企画の対戦風に私が勝手にいじらせてもらいました。icenetworkさんごめんなさい。
みどりがアマチュア復帰した時(26歳)の「シンデレラ」&真央ちゃんが12歳で全日本出場、3-3-3を決めたクスコの「インカダンス」。
トリプルアクセルにも挑戦したんだけど回転不足ってことで認定はされなかったんだよね。3F-3Lo-3Tの3つ目も足りないんだけどまだ旧採点、回転不足だGOEだってそんなことはどうでもよくてこの女の子の出現に久しぶりに心が躍るのを感じずにはいられませんでした。
かつて伊藤みどりが孤軍奮闘していたあの頃を知っている人にとってはかなりの人が同じ思いを抱いたのではないかな。運命の糸っていうのはあるんだなって。
この世に生を受ける時代は自分では決められないけど、フィギュアスケートを好きになる時期も人それぞれだけど、同じものを見て同じ感動を共有して今同じ時代を生きている。これも一期一会。

Mao Asada 2002 Japanese Nationals FS

冒頭のSPダイジェスト、このオレンジ衣装もみどりがプロ時代に使っていたもののおさがり。 昨年改装された名古屋スポーツセンター(大須リンク)にパネルが飾られているあの衣装ですね。さらにこの後ホットパンツに改造して佳菜子に受け継がれます。
技も精神も選手を育む環境も、こうやって糸がたくさん張り巡らされてしっかりと繋がって結びついているんだなぁ。





・・・やっちゃった。この記事、この後にクワドジャンプのエントリーも一緒に入れるつもりでやってたのに、書いていくうちにどんどん長くなってきてトリプルアクセルだけでこんな量 (´Д`;) 
無駄に熱くてすんません。GPSが始まるまでには完結させるのが目標。(えっ!?)
イーグルからのトリプルアクセルはイーグルの記事で取り上げます。



「花は咲く~羽生結弦Ver.~」で曲が盛り上がるところでのカウンターからの3Aが入ってて涙腺崩壊、男子はクワドの時代になってもトリプルアクセルはフィギュアスケートの醍醐味よねー高揚感がたまらないよねーと思いつつその5記事へつづく。


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