2016-03-17

小塚崇彦、氷上からの旅立ち




Takahiko Kozuka Biography




2016年03月15日、引退表明




2016年3月15日 (火)
ありがとうございました

今シーズンをもちまして現役引退を決意しました。
5歳からはじめたスケートを今まで楽しく続けてこられたのは、スケート連盟をはじめとする
スケート関係者の皆様、所属先として支えていただいた梅村学園およびトヨタ自動車の皆様、
そしてファンの皆様など多くの方々のおかげだと感謝しています。

現役生活の中でたくさんの思い出をつくることができました。1つ1つの試合に思い出が
ありますが、特にバンクーバーオリンピックへの出場、全日本選手権での優勝、
世界選手権での2位。2013年の全日本選手権でソチオリンピック出場が叶わなかった事。
そして2014年の全日本選手権では、怪我の影響もありグランプリシリーズでも思うような
結果が出ない中、やっと納得ができる演技ができ、思わずガッツポーズをしたことなど、
貴重な経験をする事ができました。
今後につきましては、氷上を去ることになりますが、これまでの経験を活かし、
トヨタ自動車の従業員として新たな人生を歩むことに致しました。

人生の節目となる大きな決断になりましたが、トヨタ自動車とスケート関係者の皆様の
御厚意により、4月17日のスターズオンアイス最終公演にて、皆様にご挨拶する機会を
いただきました。

引き続き、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

小塚崇彦

※尚、本ホームページは、2016年4月4日をもちまして終了致します。


投稿日時 2016年3月15日 (火) 18:33


小塚崇彦 オフィシャルWEBサイト | フィギュアスケート: ありがとうございました



20160316 中日小塚が現役引退へ11年世界選手権で銀けがで輝き戻らず
みどりの森の回転木馬さんの投稿 2016年3月15日



スケーティングスタイル


基礎の重要性





祖父・小塚光彦氏から代々受け継がれたフィギュアスケート界のサラブレッドとして有名な彼ですが、佐藤一家との繋がりがスケーター小塚崇彦の運命をもたらしました。
佐藤信夫先生は二度のオリンピック出場・65年世界選手権4位・全日本選手権通算10回の優勝、といった輝かしい経歴を持つスーパーレジェンドですが、コンパルソリーの比重が大きい時代の選手であった信夫先生や両親に教え込まれた基礎重視の指導が後の彼の最大の持ち味である滑らかで深いエッジワークのスケーティングスタイルを確立することとなりました。





日本男子三強時代


ライバルであり戦友盟友だった高橋・織田



長年日本男子を牽引してきた本田武史引退後、互いに競い合っていた高橋大輔・織田信成の二強に小塚崇彦が加わって、日本男子三強と呼ばれる時代がしばらく続きました。
やがて羽生結弦を筆頭にした若手が台頭、三強に割って入ってソチ五輪前には六強と言われるほどにまでなって日本国内でのハイレベルな熾烈な争いが繰り広げられました。

若い頃は先輩に追いつきたいという思いで必死に食らいつく。心技体が咬み合って充実した時期を経てやがて肉体面精神面と徐々に下降線をたどる。選手によっては大きな怪我が致命傷になるケースもある。そうしてどんなスケーターにも『その日』は平等にやってくる。

先輩達の引退を見届けて、そしてそれはとうとう小塚崇彦自身にもやってきた。ついにこの日がきてしまった。
日本男子の輝ける星がまたひとつ流れていって、確実にひとつの時代が終わったのを感じます。




バンクーバー五輪出場、世界選手権銀メダルの先に待っていたもの







東日本大震災で中止となった東京世界選手権。一ヶ月後に代替地モスクワで開催された2011年世界選手権で銀メダル獲得。悲願だった世界選手権の表彰台に登ることができました。


(2011年世界選手権直後に放送)



やはりこの時期が心技体共に咬み合って機が熟した頃だったでしょう。ここからさらに経験と実績を積んで、3年後のソチ五輪では一層深みを増した円熟の演技を見せてくれる・・・

この時は何の疑いもなくそう思っていましたし、本人もバンクーバー五輪よりさらに高みを目指すんだという意欲を持っていました。


小 塚
学校では、応用スポーツ科学系ということで、例えば野球だったら投げ方だとか、ジャンプだと手の使い方だとか、そういうものを見たりして解析をしていくということを専門にしています。
八木沼
自分の癖とかが分かりそうですよね。
小 塚
そうですね。今、フリップとルッツの違いっていうのをやろうと思っていて。同じ飛び方じゃないですか。エッジのインとアウトだけが違う。じゃあ、それって、どこでどうやって変えているの?って…。結構そういうので点数を引かれている選手もたくさんいるので、それが分かったらスケート界にちょっとは貢献できるかなと思って。
西 岡:
小塚理論で飛べるようになる選手が出てくるかもしれないってことですもんね!
小 塚
やっぱりそういうことを分かっていたら指導にも役立つかなって思います。だから、色んな可能性を見て、今は過ごしていきたいなって思います。

いう当時の本人の言葉にもあるように、ゆくゆくはスケート界に残って後進の指導にあたるという未来予想図を描いていたのでしょう。


半ば予想していた。一方で、予想はできなかった。さまざまな思いが渦巻いた。3月15日、小塚崇彦が自身のオフィシャルサイトを通じて、引退を発表した。2010年バンクーバー五輪に出場し総合8位入賞。翌年の世界選手権で銀メダルを獲得。全日本選手権は12度出場し表彰台にあがったのは優勝も含め計7度。
Sports Graphic Numberさんの投稿 2016年3月17日



熾烈を極めたソチ五輪代表争い



股関節の痛みと闘いながらもソチ五輪出場を目指したものの、以前のような演技のシャープさキレが徐々に失われていった。
ソチ五輪シーズン、決め手に欠く小塚とモチベーションの低下を感じさせる高橋。
そして運命の2013年暮れの全日本選手権。

男子フリーが終わり総合3位になったものの、代表発表まで一日空いたことで様々な予想の報道がなされ、無責任な声も多数飛び交った。長い長い一日だった。
羽生・町田両選手は実質決定で、残り一枠の争いで敗れたのはこづの方だった。
男子の最後のひとりの代表選手発表の瞬間のあのさいたまアリーナ会場の異様な空気の中で、少数派となってしまった小塚ファンはどれほどいたたまれない気持ちだっただろう。

今でも賛否両論あると思うし、今それを言ったところで時計の針は戻せないのだけど、あの時あやふやな選考基準に翻弄されてしまったことが彼の競技人生の分岐点になってしまったことを思うと、やはり犠牲になった感は否めない。

いつも穏やかな彼がインタビューの場で言葉を濁しながらもギュッと唇を噛み締めたあんな悔しそうな顔は見たことがなかった。
後のさいたま世界選手権に代替出場できたものの、大ちゃんにもう少し早い時期に辞退する勇気と決断力があれば・・・



先天性股関節疾患との戦い



ブログ主様、お借りいたしました。ありがとうございます。

この痛みが彼のスケート人生の歯車を狂わせてしまった。
この病気は手術で直せるというものではないらしく、痛みを庇おうとすれば別の箇所も痛めてどんどんバランスを崩してしまうという悪循環。
彼本来の持ち味を生かし切れずにいた現役終盤、私も含めこの病気に無理解な人には気力が低下したように映った時もあっただろう。

引退の一報とともに社業に専念するという想定外の言葉に酷くショックを受けたけれど、一晩悶々と眠れない夜に考えたことは「滑りたくても滑れない、断腸の思いでの決断」だったのではないかということだった。

頭ではそうわかっていても、やはりあの小塚崇彦がスケート界に残るのではなく氷上からも去ってしまうという想定外の発表はそう簡単には受け入れられなかった。
これを書いている今も頭と感情が一致しないでいるのだけど、股関節の痛みで思うように滑れない時期も周囲の無理解で二重三重に辛い思いをしたであろう彼が断腸の思いで下した決断なのだから、それを受け入れて彼のこれからの人生に幸多かれと願うほかない。



Takahiko Kozuka - 2014 Japanese Nationals FS


今後の小塚崇彦情報は



2011年4月29日、ちょうど2011年世界選手権で銀メダルを獲得した頃に公式HPと本人が書くブログがスタートしました。
※ こちらのサイトは2016年4月4日をもちまして終了致します。

こちらはこづ本人と親交がある准さんという方が管理人をしていた小塚崇彦応援サイト Go!Takahiko!(アーカイブ)の中で書ききれないことをこちらに書き記すという形で2008年11月から2012年3月までやっていたブログです。
同じ佐藤門下生で姉と弟のような関係だった中野友加里さんが引退した後も継続して情報を発信されている中野友加里応援ブログ (Yukari Nakano Fan Blog) :Go, Yukarin! ブログも同じエキサイトブログで、崇ログと類似のタイトルという事から繋がりがあるように思われます。
(上記のノブナリブログの記事の画像は昨秋のゆかりん結婚披露宴でのもの)

今回の引退報道、引退後の進路とサイトの閉鎖というけじめの付け方にゆかりんの引退時が即座に思い出されました。

長らく更新がストップしたままの崇ログは引退後も続いているゆかりんブログとは違ってこの先再開する様子は見られませんが、過去の足跡はここで振り返ることができます。
これから先はこづ本人がやっているインスタグラムのアカウントで日々の日常を発信してくれるのを密かに楽しませてもらう、我々ファンが今後の彼と繋がっていられるものといえばそれぐらいでしょう。


ここが頼みの綱。アカウント、削除しないでね。お願いしますよ。



競技生活最後の演技と挨拶


大学院修了




2016年03月19日 追記


 フィギュアスケート男子の2010年バンクーバー冬季五輪代表で、3月末での現役引退を発表した27歳の小塚崇彦(トヨタ自動車)が19日、名古屋市内で行われた中京大大学院の修了式に出席し「晴れ晴れとした気持ち」と目を輝かせた。
 11年世界選手権銀メダリストは、5位だった昨年末の全日本選手権の演技後に「悔しい気持ちが出ないといけない場面だったが、すっと抜けていく気持ちを感じた」という。「これで終わりかな」と、年明けから熟慮して一線を退く決断をしたことを明らかにした。
 スケートのために休学した時期も含め、大学院を5年かけて修了。けがに苦しんだ時期も長かったが「後悔はない。5年間気持ちよく駆け抜けてこられた」と振り返った。
 自身のスケートの動作解析をテーマに修士論文を書いた小塚は、4月からトヨタ自動車でスポーツ関連の仕事に専念する。スケートの現場からは離れるが「いつか(スケート界で)本当に小塚が必要だと思われるような存在になれたらいい」と話した。


「いつか(スケート界で)本当に小塚が必要だと思われるような存在になれたらいい」という談話の(スケート界で)が本人が口にした言葉ではないので、これだけを読むと(これからの仕事で)という意味と取り違えたような印象も受けます。
本人のインタビュー動画から彼自身が話した言葉をそのまま拾うと

自分の中では後悔はないですし、自分の選択は間違っていなかったと思っているので。
第二の人生というものを楽しみながらしっかり働きたいと思います。
スケートが好きなのでなにかここまで支えてきてもらったことの恩返しはしたいなと思っています。

すでに第二の人生で頑張ろうと決意を固めた人に「いつまでも待ってるから(スケート界に)戻ってきて」と言っていいものかと考えたけれど、本人から発せられた言葉から「いずれは別の形でスケート界に恩返し・貢献できるようになれればいい」といった前向きの意味に捉えました。



引退表明後、初のテレビ出演




2016年03月22日 追記


3月21日深夜のすぽると!に本人がスタジオ生出演しました。
冒頭で流された映像を見ながら現役生活を振り返りましたが、花束を渡されるでもなく、引退以降の話に触れるでもなく、後は今月末の世界選手権展望へと移っていきました。
現役時代とはイメージを変えた髪型を見て「ああ、もう気持ち完全に切り替えてるんだなぁ」と感じたと同時に、世界選手権出場選手についての語り口にやはりスケート界に残ってもらいたかったというファンの側の未だ割り切れない未練が募ってしまいました。
新しい世界へ送り出してあげたいと願いつつも。
ひとつ前のニュース番組からの流れで奥様との絡みもちょっとは期待したけどそれはなし。これから生活スタイルがバラバラになりそうな夫婦だけど大丈夫なのかしら。



20160324 中日引退発表の小塚 インタビュー自然体の演技目指した選手は個性を出して
みどりの森の回転木馬さんの投稿 2016年3月25日


縦に長い記事なので見づらいかもしれません。
最後に
「22年間、すんできたフィギュアの世界には、何かしらの恩返しはしていきたい。
これからはスケートは趣味。社業に影響ない範囲で、楽しく滑る。普通よりちょっとうまい人でいます。」
と締めくくられています。



トヨタ一社員となる4月以降は





4月17日の東京公演での出演がスケーター小塚崇彦の最後の演技となるようです。




2016年04月20日 追記


最後の演技となったSOIが終了、スケーター小塚崇彦はこれを持って完全にトヨタのいち社員という立場になりました。

引退報道直後、過去の記憶を必死にかき集めてなんとかこの記事を仕上げて、その後に出てくる関連情報を追記していったらどんどん縦に伸びていきました。
この記事が飽和状態になってこれ以上は追加できなくなったということもあり、主に最後の演技に関する報道をまとめたものに加えて当初この記事に記載してあった動画の一部やスポーツナビのインタビュー等を新しい記事に移動、この記事も再構築しました。

引退報道直後にこの記事を書いてからしばらくはなかなか現実を受け入れられませんでした。
病気や怪我で滑り続けることが困難になったのだとしてもなんらかの形でスケート界に残るという選択肢は十分にあったはずだし、それを期待されるだけの資質も十分に備わっていました。受け皿も当然あったでしょう。
ここで紹介した2011年世界選手権後のインタビュー内容を見てもそれは伝わります。

「スケート界が失った損失は計り知れない、それはこれからわかっていくこと」、そう思っていたし今もその名残惜しい無念の気持ちが残っているのは事実だけど、すでにトヨタ社員として新しい人生を歩き出しているということもあり、この一ヶ月で少しづつ現実を受け入れていって最後の演技が終わった今はようやく気持ちの整理と区切りが「ほぼ」ついたかな、といったところ。

あとは続きの記事に書いてありますのでそちらでご覧ください。




氷上から新天地へ



信夫先生に背中をくるくるぽんしてもらってリンクへ送り出されるお馴染みの光景はもう見られない。
あの極限まで傾けた極上イーグルも、氷に吸い付くような滑らかな滑りも。

それでもいつかまた別の形で氷の上に戻ってくることを強く願わずにはいられない。
トヨタがスケートクラブを設立してスケートリンクを作ってくれて監督就任、とか。
いつか二世が誕生したならばやはり新たなサラブレッドの滑る未来を妄想せずにはいられない。

ファンの勝手な願望でしかないのかもしれないけれど、実現の可能性がほんの僅かでもあるのであればそんなささやかな夢を持つのも悪いことではないと思う。

複雑なジャズのリズムや優雅なクラシックの旋律に乗って流れるように滑るのが心地よい選手だった。
いつまでもいつまでも記憶に残していきたい。









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