20160330



伊藤みどりさん:インタビュー詳報 日本でフィギュアが認知され、とてもうれしい - 毎日新聞


インタビュー詳報 日本でフィギュアが認知され、とてもうれしい





インタビューに答える伊藤みどりさん=福岡市内のホテルで2016年3月11日午後3時8分、山下恭二撮影

 フィギュアスケートの世界選手権が30日に開幕する。過去に優勝した日本選手は男女合わせて7人を数えるが、第1号が伊藤みどりさん(46)だ。頂点に立った1989年パリ大会は、世界選手権で女子選手として史上初めてトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を跳んだ歴史に残る大会でもあった。伊藤さんに世界選手権の思い出や、今大会の日本代表選手の特徴などを聞いた。【聞き手・冨重圭以子】

    優勝は逃しても、トリプルアクセルがきれいに決まったうれしさは格別

     −−伊藤さんが世界選手権で女子初のトリプルアクセルを成功させてから27年になりますが、公式戦で跳んだ女子選手はいまだに6人しかいません。

    女子シングル自由演技でトリプルアクセルを含む5種類の3回転ジャンプを決めた=広島市・ビッグウェーブ(総合屋内プール)で
     ◆練習で跳んでいる選手は世界中にたくさんいます。でも試合でトリプルアクセルを入れつつ、すべての要素をバランスよくまとめるのは難しい。プログラム全体が壊れてしまう危険性があるからです。女子にはリスクが高すぎるのかも。ただ、1年前、トゥクタミシェワ選手(ロシア)が跳んだのを口火に、これからは若い選手がプログラムに入れてくるはず。だれもが跳ぶ時代がやっと来るのでは、と期待しています。
     −−19歳の伊藤さんが世界選手権を制したのは、89年のパリ大会でした。
     ◆チャンピオンになったのは、たまたまです。カルガリー五輪のメダリスト3人が引退した翌年で、世代交代の時期だった。あのとき、オリジナルプログラム(OP=現ショートプログラム)のジャンプをどうするか、悩んだのを覚えています。(課題の図形を氷上に描き正確性が採点される)規定で6位といい位置にいたので(メダルを確実にするために)コンビネーションジャンプの難度を下げたのです。このシーズンにやっていた3回転ルッツ−2回転トーループではなく、無難に、ミスのないように、トーループの連続ジャンプにした。ただ、ちょっとひねりを入れて、3−2回転ではなく、2−3回転にしました。
     (注:当時は規定、OP、フリーがあった。また女子OPでは3−3回転の連続ジャンプは認められていなかった)
     −−フリーでは女子で初めてトリプルアクセルを成功しました。
     ◆(当時の採点法で)6.0の満点が出て、世界最高得点とギネスブックに載ったのですが、実はアクセルはきれいな着氷ではなかった。その悔しさが、翌90年のハリファクス(カナダ)世界選手権で、理想のトリプルアクセルを決めたい、というモチベーションになりました。この大会は規定で出遅れて優勝は逃したけれど、アクセルがきれいに決まったときのうれしさは格別でした。
     −−伊藤さんは五輪でも女子初のトリプルアクセル成功者。92年アルベールビル五輪ですが、国民的な期待がかかっていました。
     ◆冬季五輪で日本の女子はメダルを取っていなかった時代。スピードスケートの橋本聖子さん(現日本スケート連盟会長)と私に、初のメダルの期待が高まっていたのはわかっていました。応えたいというのは当然あり、私自身も、どんな色かはともかく自分の力を出せばメダルは取れる、取って帰りたいという欲がありました。けっこう精神的に追い込まれました。
     −−そんな雰囲気の中で、調子が今ひとつ。OPではジャンプの難度を下げたのに、転倒しました。
     ◆あのシーズンは、国際大会ではOPからトリプルアクセルを入れていました。でも公式練習で確率が落ちて、自信がなくなってきたので難度を下げてトリプルルッツにしました。この引いた気持ちが、やさしいジャンプをもマイナスにしてしまった。悪循環です。ただ、難度を下げたのを後悔しているわけではありません。同じ状況なら、いまも同じ決断をしていたと思う。単に結果がマイナスに出たということ。
     (注:同じ回転数のジャンプだと難しい方からアクセル、ルッツ、フリップ、ループ、サルコウ、トーループの順とされている)
     −−難度を落としたといってもトリプルルッツ。現在でもショートプログラム(SP)のジャンプでルッツだとかなり難度は高い。

    3回転半ジャンプを決めた伊藤みどり=大阪臨海スポーツセンターで
     ◆私は中学3年で最初にトリプルアクセルを跳んだのですが、当時は世界選手権か五輪で跳ばないと公式には認定されなかったので、そこで成功させることが目標であり、大変だった。アルベールビルではOPでは回避したけれど、フリーでは入れました。演技の冒頭、まだ体力があるときに跳んだのは、まだ体が硬く、肩の力が抜けずに転倒。OPで転んだルッツも不安が出て2回転になりました。でも、この2本が思い通りにいかなかったことで、肩の力が次々ほどけていくんですよ。不思議なことに。
     −−ならばトリプルルッツが普段通りに決まっていたら、硬さが取れなかった?

    インタビューに答える伊藤みどりさん=福岡市内のホテルで2016年3月11日午後3時22分、山下恭二撮影
     ◆どうでしょう。ただ、どんな状況にも対応できるように、さまざまなパターンを練習はしてきていました。後半、2回目のトリプルアクセルを選択するときは、悔いが残らないように、自分がアクセルを跳んだことに責任が持てるように、とだけ考えていました。2度目のトリプルアクセルのところは、ルッツでもよかったし、あらゆる種類のジャンプの可能性があった。あそこでトリプルアクセルを選択できて、決め切れて、やっとオリンピックから解放されました。
     ただ、このフリーは全体として見れば30点くらいかな。銀メダルを取ったからといって、トリプルアクセルが決まったからといって、決していい内容ではなかった。でも、あのプレッシャーの中でアクセルを選択できて決めたのだから、悔いの残らない4分間でした。

    チャンスをつかみとる才能は、みんなが持っているとは限らない

     −−モチベーションの持って行き方が重要ということですか。
     ◆羽生(結弦)君は、上手ですよね。自分のモチベーションを上げるための戦術を持っている。闘志の燃やし方をわかっている。今シーズンのNHK杯とグランプリファイナルと2大会連続のノーミス演技はすごいことですが、たぶん昨シーズンの世界選手権で2位とハビエル(フェルナンデス=スペイン)に負けた悔しさが原動力になったのだと思う。それにNHK杯では中国の金博洋が4回転ルッツを跳んだ。もちろん羽生君も2種類(トーループとサルコウ)は跳んでいますが、ルッツは無理で、気にならないはずはない。負けないよう、自分のできることを全部出そう、というのがエネルギーとなったのではないのかな。悔しさやライバル意識をバネにして、自分を持ち上げるノウハウが身についているようです。
     −−それは天性のものですか、それとも訓練して身につけた?
     ◆もちろん経験は大事ですが、天賦の才能もあるのではないかと思います。自己コントロールの仕方を理解するのは選手にはとても大事。ベストコンディションにどうやって自分を持っていくかは指導されて覚えていくのですが、彼は20歳そこそこで自分なりの方法を確立しています。2014年のソチ五輪で金メダルを取れたのは、一種の運もあった。チャンスはいろいろなところにあるけれど、そのチャンスをつかみとる才能は、みんなが持っているとは限らないのです。
     −−羽生選手は昨季、試合直前の6分間練習で他の選手と衝突してケガをしました。伊藤さんも、91年ミュンヘン世界選手権の6分間練習で選手とぶつかった経験があります。
     ◆あのシーズンから規定がなくなったというのがポイントでした。OPとフリーだけ、というのが、逆にプレッシャーになった。焦って、前のめりでスケートをしていた。いつも最初の規定で出遅れて、その後、トントンと上がっていくのが私のパターンだったのに、最初から上にいなさい、と言われてもね。けっこう戸惑いました。ミュンヘンの大会は、アルベールビル五輪の出場枠もかかっていたので、前のめりになったのがいけなかった。
     衝突は普段の練習ではめったにないんです。試合が近くなり、公式練習になると、みんな集中力を高めてくる。同時に6人が練習を行う試合直前の6分間練習はピークです。集中するとどうしても周囲が見えなくなる。事故の確率もだんだん高まってくる。そんな場でいかに自分の冷静さを保てるか、集中しながらも視野を広く持つか、が大切です。私も普段から山田満知子コーチによく注意されていて、ミュンヘンでも「ほらごらんなさい、ぶつかって」と言われました。だれが悪い、とかではなくて、たとえ2人しか同時に練習していなくても、ぶつかるときはぶつかるのではないかと思います。

    試合で滑るのは私一人。だから選択は私がする

     −−休養中の浅田真央選手から相談があったと聞きました。
     ◆相談ではなく、たまたま真央ちゃんがリンクから離れているときに一緒に仕事する機会があって、真央ちゃんに聞かれたんです。(92年にプロになった後の)「95年にアマチュア(競技に)復帰したときはどうでしたか」とか「復帰をどんなふうに捉えていましたか」とか。ああ、真央ちゃんはすごく悩んでいるんだな、と。おそらく復帰に80%くらい傾いたころだと思います。「悔いの残らないように」ということと「自分の積み重ねてきた経験を踏まえて決断を。継続は力なり、だよ」と伝えた。それから自分の心に素直にきいてみたらどうか、とも言いました。今は真央ちゃんもそうですが、一人の選手を、栄養士とかトレーナーとか、いろいろな人がサポートしている。いいことですが、自分の意思だけではなかなか決められない環境にもなっています。真央ちゃんはやさしい子だから、いろいろな人のことを考えてしまうんだろうけれど、人生の岐路に立ったときには、自分の気持ちに素直になることが一番大事じゃないか、と。答えを出したときに、まわりに責任を押しつけないで、自分が責任をとる方がいいのでは、と言ったのです。
     −−自らの決断に対する責任ですね。
     ◆あらゆることでそうだと思います。たとえばどのジャンプを跳ぶか、も。悔いが残らないように、私は全部自分で決めました。あらゆるパターンを練習しますが、試合で滑るのは私一人。だから選択は私がします。1回転になっても、転んでも、責任は自分にある。
     フィギュアスケートは自分を表現できるスポーツです。世界中の人たちは、伊藤みどりの性格なんて知っているはずがないのに、演技を見たら、きっとこんな人なんだろうな、とわかりますよね。だから山田コーチはいつも「すべての行いが演技に出てしまう。立ち居振る舞いまで、すべてをちゃんとしなさい」と言っていました。
     −−浅田選手に助言するとすれば。
     ◆復帰直後の今シーズン初めはいいスタートを切ったけれど、その後、なかなかいい演技ができなかった。でもシーズンには波があるものです。世界選手権に向けては、体調と精神的なものをピークに持っていく準備が大事です。経験を生かして、真央ちゃんの価値観で努めてほしい。雑念を取り払ってコントロールして臨むことです。経験しているからこその雑念もありますが、うまくいってもいかなくても、悔いの残らないよう、気持ちを高めてほしい。
     −−男子選手には。
     ◆ケガをしないで、と言いたいです。女子は(優雅さなど)他の見せ方があるのでコンディションを作りやすいのですが、男子はみんなが4回転を跳ぶとやらざるをえないので、無理しがちです。無理しすぎると人間の体はどこかを故障する。ケガをするとすべてがマイナスになり、できていたことができなくなってしまう。紙一重なんですが、頑張りながら、ケガをしないこと。ここに折り合いが付けられたら、メダルにつながるのではないでしょうか。
     −−女子では日本選手権で優勝した宮原知子選手もメダルの有力候補です。
     ◆今はランキング制で、世界選手権も有利なところ(滑走順)で戦えるかどうかはポイント次第。宮原さんサイドは世界選手権に勝つために逆算し、4大陸選手権にも出てポイントを稼ぎ、有利なポジションに自分を置く戦術をとっています。それに彼女の練習熱心さは、一種の才能。努力できる天才です。浜田美栄コーチの言葉を借りれば「不器用さが努力を生んだ」ということでしょうか。
     不器用なのは、決して悪いことではないと思います。いまの選手はたいてい器用なので、ジャンプが少し回転不足でも降りられるけれど、私は回転不足だと降りられなかった。スコーンと転んじゃう。不器用なんです。不器用だから時間はかかったけれど、きちんとした(ジャンプの踏み切り時の)エッジ(の使い方)も覚えたから、おそらくエッジエラーもない。一見、伊藤みどりは天才に見えたかもしれませんが、本当は、不器用ゆえのジャンプだった。真央ちゃんは逆に器用なので微妙な着氷でも片足で立ててしまう。

    自分の得意技を追い求めたことで、世界に認められた

     −−採点法が伊藤さんの時代から大きく変わったことで、戦い方も変わった?
     ◆たとえばトリプルアクセルがGOE(出来栄え評価)でマイナスになるくらいなら、入れない方が良くて、プラスになるジャンプに変えた方が勝てる、ということですよね。逆に、加点がもらえる技はみんなやるので、時折、みんな似たようなことやってるな、とも思います。ただ、今の方が平均点は高い。私のころは一つだけ突出した技があれば戦えましたが、いまはスピンも柔軟性も平均点が最低70点くらいなければ世界に出ていけないし、その中でプラス点がたくさんある選手が、世界のトップになる時代です。
     −−しかし伊藤さんは、スピードもあり、スピンも安定していました。
     ◆山田先生には、スピード、スピードと言われ続けていました。フェンスを手でたたきながら「スピードがない!」と叫んでいた先生の姿が記憶に残っています。自分の武器であるジャンプは、スピードがないと跳べなかったですしね。当時はトリプルアクセルを跳んで当たり前とか、跳ばなきゃいけない、とだけ思っていましたが、年月がたってみると、技術的には最先端を行っていたな、と思います。自分の得意技を追い求めていったことで、世界に認められるスケーターになれたのだから、あのころ先生に怒られてよかったな、と思います。
     −−山田コーチとは最強コンビでした。
     ◆先生を信じてよかった。コーチとの信頼関係が演技に出てしまうのです。先生の一言で気持ちが楽になったり、気をつけよう、と思うこともありました。いつも先生の言葉で押し出されていった。先生も「みどりをどんな言葉で後押しするか」を常々考えておられたそうです。一番覚えているのはアルベールビル五輪のフリーの直前。「楽しんで滑ってらっしゃい」と言われました。
     −−88年に初出場したカルガリー五輪も大きな転機でした。
     ◆伊藤みどりが世界中に知れ渡った大会でした。女子がオリンピックで(アクセル以外の)5種類の3回転ジャンプを決めたのは、このときの私が初めてだったので、日本からこんなアスリートが出てきた、と認知してもらった。カルガリーのリンクは2万人も入る大きな会場でした。試合前には会場内をいろいろ歩いてイメージトレーニングするんですが、一番上の階に上ったときには、私なんてただでさえ小さいんだから、豆粒にしか見えないんじゃないか、と思ったくらいでした。
     そんな会場で演技できるだけでもうれしかったし、そこで自分の5種類のジャンプが完璧にできたこともうれしかった。あのシーズン、完璧にできたことはなかったので、それがオリンピックでできたことが思い出です。点数とか順位ではなくて、お客さまの拍手で実感できた瞬間でした。
     −−最後に、今の日本のフィギュアスケートをどう見ていますか。
     ◆今は誰にも世界チャンピオンになれるチャンスがあります。昔はチャンピオンになるのはこの選手かこの選手、とたいてい決まっていましたが、今は練習を見ても調子の良しあしはわかっても、だれが勝つかは正直わからない。日本選手にもチャンスは十分にあると思います。
     それは、歴史がつながってきているおかげで、私もその一端を担ったと自負しています。私がアルベールビルで金メダルを取れなかったために、日本スケート連盟が複数の有望選手を見つけて育てるために長野県野辺山での合宿を始め、そこから(06年トリノ五輪金メダリストの)荒川静香さんが育った。その荒川さんを見て、多くの選手が育ってきました。引退後もスケートを続けるには指導者になるか、米国のアイスショーに出るか、しかなかったのが、今は日本でもプロスケーターにもなれる。日本でフィギュアが認知されてきたことが、とてもうれしいです。







    寝ても覚めても:速い、高い、すごい=冨重圭以子 - 毎日新聞 


    速い、高い、すごい=冨重圭以子





    アルベールビル冬季五輪のフィギュアスケートで2位に入賞、銀メダルを胸にスタンドの声援に手を振って応える伊藤みどり選手=1992年2月21日撮影


     まもなくフィギュアスケートの世界選手権が始まる。男子の優勝候補筆頭の羽生結弦選手、女子もメダル候補の宮原知子選手や浅田真央選手ら、日本勢は今回も活躍が期待できるメンバーがそろった。つい先ごろ、世界ジュニア選手権でも14歳の本田真凜選手が優勝した。
       男子も女子も、シニアもジュニアも、なんて、すごい時代になったものだ。その日本のフィギュアスケートをリードし、いや、世界レベルでも先駆的役割を担ったのが、伊藤みどりさんだ。
       先日、久しぶりに2人で会った。世界フィギュアについての話は、近日中に紙面化するけれど、よもやま話の中で「へえっ」と驚いたエピソードを二つ紹介する。
       羽生選手が、世界最高得点を立て続けに出した昨年末の快挙が話題になったときのこと。「2大会連続でノーミスで滑ったことはありますか」と聞いたら「あるわけない」と彼女は答えた。それどころか「少なくともフリーで、同じプログラム内容を2回滑ったことさえ、ないかもしれない」と言うのだ。
       アクセルからトーループまで6種類の3回転ジャンプを全部跳べた伊藤さんは、演技をするときの体調と調子のよしあし、加えて「やる気」がどれだけあるかでジャンプの構成を、常に変えていたのだという。
       「組み合わせは、1000種類以上、いや万の単位になるかも」というくらい、プログラムの構成は変幻自在だった。そしてどこかでミスした場合に、次のジャンプをどうするか、どこでカバーするか、という練習をいやというほどしたそうだ。
       もう一つ、ジャンプにおいて回転不足はなかったが、回り過ぎて着氷に失敗したことはあったそうだ。伊藤さんのジャンプは、滑りのスピードを生かして、とても高い。そういえば舞い上がって回転した後、空中でふっと止まって見えることがあった。これ以上回ったらやばい、と調整していたのだろう。
       そんなばかな、と思われる方はぜひインターネットで動画を検索してみてほしい。1989年のパリの世界選手権や、90年のハリファクス(カナダ)での世界選手権の演技がおすすめだ。速く、高く、楽しそうに小柄な日本のレジェンドが滑っている。(専門編集委員)




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