20150606





新エース、大きな飛躍 フィギュア・宮原知子(上) 

2015/6/1付
 2013~14年のソチ五輪シーズンを最後に、日本の銀盤を長らくけん引してきたスケーターが、続々と現役生活に別れを告げた。高橋大輔や織田信成、安藤美姫に鈴木明子――。そして先ごろ復帰を表明した浅田真央(中京大出)も14~15年は休養した。18年平昌五輪へ向けて、女子を中心に「フィギュア大国」の行く末が案じられていた中、「新エース」として大きな飛躍を遂げたのが宮原知子(大阪・関大高)だ。
世界選手権初出場で銀メダルを獲得した=共同
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世界選手権初出場で銀メダルを獲得した=共同
天才肌ではなく、器用でもない
 昨年10、11月のグランプリ(GP)シリーズで2戦とも初の表彰台(3位)に立つと、年末の全日本選手権では初優勝。3月の世界選手権はショートプログラム(SP)、フリーとも自己ベストを更新、日本女子では浅田以来となる初出場での銀メダル獲得。4月の世界国別対抗戦はフリーの自己ベストを再び更新して、充実の1年を締めくくった。
 「自信を持って『平昌五輪に行きたい』と言えるくらいにはなったかな」「エースは意識したことはないけど、言われる分しっかり結果を出さないといけない。地位にふさわしい演技をしたい」。控えめな性格の17歳に確かな自信と自覚が芽生えてきた。
 天才肌ではなく、器用でもない。身長148センチと体格に恵まれているわけでもない。「世界選手権に出た女子選手の中で、宮原の身体能力は下から数えた方が早い」とコーチの田村岳斗(やまと)は断言する。だが、こう続ける。「その中でメダルに届いたのは、技術も精神力も練習で磨いていったからだと思う」
 練習の虫。「練習でちゃんとできていないと、試合でできる自信がつかない。あきらめたくない気持ちもある」と宮原。練習をサボったことは一度もなく、手を抜いたことさえないという。昨季は右足甲の関節炎を患い試合の棄権も取り沙汰されるほどだったが、氷上に立ち続けた。来る日も来る日も自分が納得いくまで練習に明け暮れる。
「フリー後半も疲れない」スタミナ
 田村が「人の動きを見てすぐにある程度コピーできる子がいるけど、彼女は100回やってやっと同じくらい。でも100回でも200回でもやる」と言えば、コーチの浜田美栄は「30年以上教えているけど、あんなに謙虚に努力する子はいない。練習する姿を見て涙が出てくる」。真摯な姿勢が周囲の胸を打つ。
 コツコツと汗を流し続けたことで武器も生まれた。宮原が「フリーの後半になっても疲れない」と話す強靱(きょうじん)なスタミナだ。胸突き八丁の演技後半に、高難度のジャンプを組み込む攻撃的なプログラムを可能にしている。
 安定感に磨きがかかったジャンプ、成長した表現力、大舞台でも動じない勝負度胸――。人並み外れたたゆまぬ努力が、昨季の結果となって花開いた。宮原は試合前や演技中に、いつも自らに言い聞かせている。「今まで練習できっちりやってきたから絶対に大丈夫」と。
(敬称略)
〔日本経済新聞夕刊6月1日掲載〕






世界ジュニアの挫折に涙 フィギュア・宮原知子(中) 

2015/6/2付
日本経済新聞 電子版
 電車の中で突然ボロボロと涙をこぼしたという。2013年3月。当時14歳だった宮原知子(17、大阪・関大高)は、イタリアで行われたフィギュアスケート世界ジュニア選手権での戦いを終えて帰路に就いていた。関西空港から特急に乗り、コーチの浜田美栄と田村岳斗(やまと)とは途中で別れ、母の裕子(やすこ)と2人きりになった。すると、一度は胸の奥底にしまい込んだ思いが、みるみるあふれ出て頬を伝った。
コーチに指摘された修正点はこまめに手帳に書きためる
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コーチに指摘された修正点はこまめに手帳に書きためる
9つもの回転不足を取られた
 感情を内に秘めることが多い宮原の涙を伝え聞いた田村は心中を察した。「大会が終わってから特別落ち込んでいる様子は見せなかったし、みんなに気を使わせないようにしていたのかな。でもやっぱり悔しかったんだろうな……。そこまでよく我慢したなと」
 7位と振るわなかった世界ジュニアで、何よりこたえたのが厳しいジャンプの判定だった。ショートプログラム(SP)3つ、フリーは6つ。実に9つもの回転不足を取られた。「それまで熱も出さず、風邪もひかず、ほとんど病気をしなかったのに大会後に学校で倒れた。相当ショックだったと思う」と裕子は振り返る。コツコツと積み上げたものが、一瞬で瓦解したような感覚に見舞われたとしても不思議ではなかった。
 米国で4歳からスケートを始めた帰国子女は「ほかの人のことを悪く言ったことは、生まれてから一度も聞いたことがない」(裕子)というほど真っすぐに育った。小学4年のときに日本スケート連盟の「有望新人発掘合宿」の選考から漏れて涙に暮れたことはあったが、11、12年の全日本ジュニアを連覇。12年の全日本ではジュニアながら3位と表彰台に立った。その輝かしい経歴についた9つの回転不足は、初めての挫折に違いなかった。
着氷の姿勢などジャンプ見直す
 だが、宮原はすぐにジャンプの改良へ向けて立ち上がった。回転力自体はあるため、意識したのは高く跳び上がること。靴を替え、エッジ(刃)は軽く。ただ高く上がるだけの練習や、原点に返って1回転ジャンプも繰り返した。練習を動画でコーチに撮影してもらい、指摘された点はこまめに手帳に書きためた。
 1998年長野五輪王者のイリヤ・クーリックに教えを請い、ジャンプのタイミングや膝の曲げ方、着氷の姿勢などを一つ一つ見直した。はためには分からない微妙な修正の数々。納得のいくジャンプを跳べたとしても、次も同じようにいくとは限らない。「何回も練習して感覚を覚えるしかなかった」
 人一倍流した汗は嘘をつかず、出口が見えないトンネルに徐々に光が差し込んだ。「タイミングが合って真っすぐ上がれたら、しっかり跳べる」。銀メダルを手にした3月の世界選手権で取られた回転不足は1つのみ。世界ジュニアと単純比較はできないが、苦難を乗り越えた2年間の努力の証しといえる。「(世界ジュニアは)自分の一番足りないところを突きつけられた試合。ある意味すごくよかった」。今は笑ってそう言える。
(敬称略)
〔日本経済新聞夕刊6月2日掲載〕






高い意識で表現力磨く フィギュア・宮原知子(下) 

2015/6/6 6:30
日本経済新聞 電子版

 2013年にシニアデビューしてからのこと。あるとき、自分の銀盤の映像を見返していて、宮原知子(17、大阪・関大高)は、はたと感じた。「ただ淡々と滑っているだけでは、何も伝わってこない」
演技にパントマイムも生かし、振り付けの細かいところまで気を配る=共同
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演技にパントマイムも生かし、振り付けの細かいところまで気を配る=共同
 宮原は難度の高い連続ジャンプを着実に決め、スピンも鮮やか。スタミナを武器に最後までスピードは落ちず、そつなく演技をまとめ上げる。ただ、見ていて安心感はあるが、滑りは模範解答のように無難な印象も拭えなかった。課題は表現力。恥ずかしがり屋は、はじけ切れていなかった。
パントマイムなど貪欲に吸収
 アーティストの意識が高まってきた。自宅の鏡の前で笑顔をつくる練習を繰り返す。以前ならほかの選手の演技はジャンプにばかり目がいっていたのに、今は表情などもチェックして自分に足りない点を考える。バレエ、民族舞踊、ダンス、パントマイム――。演技に生かすためにあらゆるジャンルから貪欲に吸収し、振り付けの細かいところにまで気を配る。もちろんプログラムの曲の本を読んだり、ミュージカルを見に行ったり、主人公になりきるための努力も欠かさない。
 パントマイムで様々な場面や役柄を想定して練習していたとき。「小さく演じても近くの人にしか分からないよ」とのアドバイスが胸にすとんと落ちた。「会場の上から見ている人にも何を表現したいのか分かるくらいでないと。(振付師に)体が大きく見える振り付けを入れてもらい、自分の体を目いっぱい使うようにしている」。148センチが氷上では大きく見える。
 表現力の面でも一段ずつ階段を上っている。昨季のフリー「ミス・サイゴン」は目だけで観客に訴えかけるものがあった。スケートカナダなど海外の大会でもスタンディングオベーションを受けて万雷の拍手を浴びた。世界選手権では「演技の表現」や「曲の解釈」で7点台後半を得るまで評価を上げてきた。「フィギュアはスポーツではあるけど感動する芸術品。たくさんお客さんがいるのに全然盛り上がっていないとがっかりするし、見ている方が引き込まれる演技をしたい」と観客が感動する演技をすることがモチベーションとなっている。
五輪出場が夢、平昌へ覚悟
 そして「夢」と語るのが五輪の出場だ。出場3枠あった14年ソチ五輪の最終選考会の全日本選手権では、上々の出来だったのに4位と惜しくも届かなかった。足りなかったものを考えると、「あのときは『自分が出られるのかな』『出ても大丈夫かな』という気持ちの方が大きかった。自信を持っていかないと五輪には行けないと思った」と気持ちの甘さに行き着いた。
 だから、18年平昌五輪へ向けて覚悟が違う。「あのとき悔しかったから今頑張れている」。大技トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)の練習も本格的に始める予定だ。「絶対に五輪に出るという気持ちを持って頑張る」。コツコツとまた練習に明け暮れる。
(敬称略)
〔日本経済新聞夕刊6月3日掲載〕



  
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